【Being on
the road フリーランス8年目の誓い】
この8月、7年間勤めた新聞社を辞めて7年が経つ。写真を生業にして14年間が経ち、スタッフとして過ごした時間と、フリーになってからの時間が丁度、半分ずつになったということだ。
僕は2002年6月18日、雨の仙台にいた。サッカー日韓W杯で、初の決勝トーナメントに進出した日本とトルコ代表とのベスト8を懸けた試合を撮影するためだった。試合前、僕は日本代表の快進撃に満足し、また、大いなる自信に満ちあふれていた。ベスト16に勝ち進んだチームを見渡しても、トルコは一番易しい相手ではないかと思っていたし、日本の8強も間違えないだろうと過信していた。
まあ、結果は0−1の惜敗。雨の中、濡れそぼった僕はガックリと肩を落としてスタジアム近くのプレス・センターへ戻った。同センターには、週刊誌アエラで観 戦連載をしていた作家・沢木耕太郎氏がいた。中学生のころ「一瞬の夏」を読み、ボクシングへの思いを焦がしていた僕にとっては、神のような近寄りがたい存 在の人だった。
しかし、やはり沢木さんの熱烈なファンだった同僚のHさんが当日のチケットにサインをしてもらっているではないか。日ごろ、人間の行動パターンの中で、「他人がしているから僕も」という行為が最も嫌いで恥ずかしいと思っている僕も、このときばかりは例外だった。上の写真は、その時、沢木さんにいただいたサインだ。
「Being on the road」
読みにくいかと思うが、チケットにはそう書いてある。僕はずっと、この言葉を大切にしてきた。「W杯を取材するまでは新聞社にいよう」と思っていた僕にとって、その言葉はフリーランスのカメラマンとなる後押しをしてくれた言葉となった。
「流されるのではなく、自分が思い描いた道を行け」というメッセージとして受け止めていた。
サインをいただいて約1年後、僕は新聞社を退社した。そして今、新聞社で過ごした時間とフリーランスとして生きてきた時間が丁度、7年ずつとなった。
フリーランスとなって「こんなはずじゃなかった」と思う部分もある。フリーになったころ、5年間で大した写真が撮れなければ、写真は辞めようと思っていたのに、僕は大した写真も撮れないまま、写真にしがみついている。
近ごろでは、若い人たちに報道写真を教えたり、写真について話したりすることも増えた。多くの写真を見ることによって、目が肥え、他人の写真を批評したり、「写真表現とは」なんて偉そうなことを言ったりしている。
最近ふと、「じゃぁ、あなたの写真表現とは?」と自問自答すると、僕には何もない。他人から見て、「僕らしい写真表現」なんて無いだろうし、僕自身が胸を張って言えるものもない。
とかなんとか言いながら僕は来月、本を出版する。「水」をテーマに、環境破壊によって水が枯れてしまうアラル海と、水が溢れている(と言われている)ツバルを取材し、ふたつの水物語を子ども向けにまとめた写真絵本だ(詳細は後日)。
その印刷立ち会いが昨日あり、今日もある。印刷工場で刷り上がる写真の色を確認しながら、すでに見飽きてしまった自分の写真を改めて見つめ直しながら一日を過ごした。
「これでいいのか?」「このままでいいのか?」自分の写真を眺めて思うことだ。この思いは、もう焦りに近い。先日も、トークセッションでご一緒したOさんにだらだらと思いをぶつけてしまった。
焦るのには理由がある。本の印刷が終わり、製本を見届けたら、すぐにインドへ行く予定だからだ。こんな状態で、しっかりと写真が撮れるのかなあと心配になるのだ。本当に、他人に対して怒っている余裕なんて本当はないのだ。
そんな不安をかき消すために、インド関連の書籍を何冊か読んでいる。ヒンズゥー教に関する新書から、中谷美紀さんの紀行まで、色々と。その中で、沢木さんの「深夜特急」を読んでみた。その昔、アジアの途中まで読んだことがあったのだが、インドまで辿りついていなかったからだ。
昨日、凸版印刷からの帰り道、電車の中で「深夜特急5(文庫版)」を読んでいた。同書では、沢木さんはすでにインドを超え、トルコを旅している。その中で、僕はある言葉に出会った。
「ビーイング・オン・ザ・ロード」
沢木さんはトルコのエルズルムの宿でドイツ人の若者ふたりと出会う。そのドイツ人はアジアを横断し、日本へ「禅」を学びに行くという。そのふたりに「禅とは何か?」と聞かれ、考えた挙げ句、沢木さんが思い至った答えが「禅とは……途上にあること……だと思う」であり、ドイツ人に対して英語で答えた言葉が「ビーイング・オン・ザ・ロード」だったのだ。
僕は8年前、「Being on the road」 という言葉をもらい、その道(自分が思う道)を行けと解釈してフリーになった。そして今、同じ言葉を目にしながら、途上であることを許されている、ような気がする。「自分らしい写真表現がなくたって、写真が下手だっていいじゃないか」って笑い飛ばされているような気がする。
月が替われば、僕のフリーランス8年目が始まる。1日が過ぎるごとに、新聞社の会社員時代よりもフリーのキャリアが1日ずつ長くなるのだ。
僕のゴールはどこにあるのか分からない。僕が設定したゴールと、運命によって導かれるゴールが、違うところにあるかもしれない。それでも、どこかへの途上にある僕は、どこかへ向かっていかなくてはならない。
フリーランス8年目は、「Being on the road」であることを自覚しながら、自分の歩幅で歩みたい。